ビジネスとSFの関係の誤解と、本当に気をつけるべきこと:SFプロトタイピングを巡って

・はじめに

SFプロトタイピングが大きなブームになり、様々なところからお話がかかることが多くなりました。一方で、ブームが広がるにつれ、SFプロトタイピングを読んだことがない、という方から、誤解された応答を受けることも増えています。
特に、SFにビジネスが関わることで、何か失われるものがあるのではないか、という漠然とした不安を感じていると思しき意見を見かけることが増えました。また、それに伴い、作家の方の中でも、不安に感じている方もいると思います。

そのため、SFプロトタイピング研究に関わっている立場として、自分が何を考えているか、いちどここに書いておきたいと思います。

・科学技術・ビジネスを元にしたSF。広告小説等

そもそもSFプロトタイピング以前に、SF作家がビジネスと関わる、つまり科学技術の宣伝に関わる事例は古くからあります。特にインターネットがない時代には、雑誌の役割がとても大きく、雑誌形態をとった企業の広告・PR誌も、今以上に盛んでした。
そして、ここで小説を書かれていたSF作家の方たちは多くいます。

例えば日本SF御三家の一人、星新一さんの作品については、以下の公式サイトに初出リストがありますが、想像以上に多くの小説が、ビジネスのPR誌にかかれていることがわかります(星新一さんはPR誌以外にも、いわゆる文芸誌以外の雑誌に多く掲載しています)
https://www.hoshishinichi.com/list/list3.html

こういったショートショート作品の中には、PR誌に書いたことが明確なものもありますが、一方でPR誌に載ったかそうでないか、区別できないような作品も多々あります。星新一さんはエッセイでこのあたりの事情を記載されていますが、依頼する企業がかなり自由に裁量を与えてくれた場合もあったそうです。
企業としての広告小説の価値と、作品としての価値は必ずしも相対するものではなく、広告小説として振る舞いつつ、長期的には作家の個性を出した作品というのは十分にありえます

では、ビジネスがSFに近づくと、SFの価値は減じるか?
私の個人的な見解ですが、恐らく逆だと思います。
星新一さんら過去の作家が、PR誌から執筆を求められたのは、もちろん腕のある作家であるということもありましたが、世の中全体がSFに注目しており、SF作家の地位が高かった、という事情もあります。したがって、発言権も高かったと思われます。
「世の中でSFが注目されている状況ほど、ビジネス現場からSFが求められ、その結果としてSF作家の自由が高まる」
というのは、ありそうなことだと私は考えています。

しかし一方で、広告小説には実際問題として、様々な執筆制約はあります。技術の正確性については詳細に指示がある場合もありますし、場合によっては結末に介入される場合もあります。そうでなくても、犯罪など、テーマ的に「書いてほしくない」題材というのはありえます。
また分量についても、長編一本を広告小説として発注するのは、予算や期間的に、なかなか難しい話になると思われます(こういった長編は既存のIPを使用した二次的な創作、コラボレーション企画としては書かれる可能性はあると思います。例えば亡くなられた伊藤計劃さんも、メタルギアソリッドの小説を執筆されています)。
さらに、出版後の版権の問題もありますし、PR誌を書くことにより作家さんの長期的なキャリアに置いては、影響はあると思います。

ただしその影響が、必ずしもマイナスのものとは限りません。星新一さんら過去の作家のように、PR誌として十分に魅力的な小説を書きつつ、後の世に評価される作品として積み重ねられる方もおります。
どんな契約でもそうですが、少なくともどういうリスクがありえるか、作家と企業側で同意が取れている必要があります。

個々の作家がビジネスにどう関わるかは、ハッキリ言えば作家の自由であり、作家以外の方が口をだすことではありません。ただしその中で、各作家が、どれだけの自由を得ているか、それに見合う対価を得ているかどうかは重要です。これは契約に関する、一般的な商道徳の話です。

ただし、企業と作家は全く違った世界で動いており、かつ、企業の方が力が強い場合が多いのは確かです。作家の方が常識と考えていることが、企業に通じないこともあるでしょう。そのため、作家の方は、企業の方とコラボレーションする際は、気になる点はなんでも質問し、検討しておくべきだと思います。

・SFプロトタイピングについて

ここまでは通常の広告小説やコラボレーション小説の話ですが、今巷で行われているSFプロトタイピングは、いわゆる広告小説とはかなり異なった手法です。
SFプロトタイピングにも発展に伴って様々なやり方がありますが、おおよそ共通しているのは、作成されたSF作品だけではなく、SF作品を作成するプロセスを通じて、組織の目指す「ビジョン」を作り上げるところです。
SFプロトタイピングは、広告小説と違って、予め与えられた技術を元に小説を書く手法ではなく、最終成果物も作品だけではありません。

たまに誤解も見られますが「SFを用いて未来を『予測する』手法」ではないのです(SFプロトタイピングを行われている樋口恭介さんは、ご自身の本のタイトル「未来は予測するものではなく創造するものである」にまでされています)。作家に未来の責任を負わせるべきではありません。未来を作るのは私達です。しかし、その将来像の可能性を探る上で、作家の発想力は、大きく役に立ちます。

SFプロトタイピングは一人で行うこともできますが、上記のような性質から、SFプロトタイピングは基本的には複数の人間(たとえば企業内外の専門家やSF作家)が集まって実施されることが多い企画です。つまり、創作技法の観点から見れば、SFプロトタイピングは共同創作の一種です。
SFプロトタイピングのメリットやデメリットは、一つには、こうした共同創作をどう位置づけるか、という話に帰着するところがあります。
貢献の割合や責任割合によっては、著者に作家だけではなくワークショップ団体が入ることもありえます。一方で、最終的な成果は作家のものである、という考え方もあり得ると思います。
どちらにも利点があり、どうするか注意深く検討したほうがいいと思います。

また、目的から考えると、SFプロトタイピングは「十数年~数十年後における未来社会像」を描くことに向いています。より近未来の場合は確実な未来予測手法があり、また数百年から数千年後のスケールの話は、共同創作だけでは発散します。

全体として、SFプロトタイピングのような方法が向く作家も、向かない作家もいると思います。ただ、SF全体を見渡せば、こうした技法と相性が良く、SFプロトタイピングで活躍の場を広げられる可能性のある作家は多くいます。
具体例を挙げるなら、例えば「マジック・キングダムで落ちぶれて」や「リトル・ブラザー」の著者であるコリイ・ドクトロウは当てはまるでしょう。ドクトロウはブライアン・D・ジョンソンのSFプロトタイピングでは作家として中心的な役割を担い、その後もアリゾナ大学科学と想像力センターのアドバイザーなど、SFプロトタイピングに関わる活動をしています。
ちなみに、彼は資本主義社会、特にIT大企業(ビッグ・テック)を中心とした監視型の資本主義社会には、ハッキリと反対している作家です。そうした意味では一見するとビジネスサイドから「安全」な作家には見えませんが、だからこそ、彼のような想像力がSFプロトタイピングの現場で求められているとも言えます。

より踏み込んで言うと、SFプロトタイピングはフィクションの「コミュニケーションのための手段」としての役割に焦点を当てている手法です。そして特に、社外だけではなく社内のコミュニケーションとして、SFが有効に機能する傾向があります。
ここも少し誤解があるかなと思うので触れておきますが、例えば現在のビッグ・テック企業はSFに影響を受けた企業が多くあります。一方で、こうした企業は「SFプロトタイピング」を積極的に実施しているわけではありません。なぜなら、こうした企業はワンマン経営が多く、企業を駆動するのに必要なビジョンを、既に持っているからです。既に「SF思考」をインストールしているなら、あえて、SFで社内コミュニケーションを図る必要がないのです。

SFプロトタイピングを多く求めるのは、どちらかというと、総合企業や行政組織といった、専門性も目的も異なる複数の人々がいる組織だという傾向があります。その中で「声の上げづらい人たちの声を拾うための手段」として、SFの発想力、突破力が使われています(だからこそ、コリイ・ドクトロウのような作家が重要になります)。
そして「突拍子もない発想を否定せず、そこで話を続けてもいいこと」こそが、SFの良い点だと、私は思っています。

では、作家の方はSFプロトタイピングに関わる際に、何を気をつければいいか。
SFプロトタイピングでは、最終成果物に対する制約自体は、通常のPR誌よりも緩やかになると思います。通常の企業がネガティブなビジョンを打ち出すことは難しいですが、SFプロトタイピングとして「そうしたくない未来」を描くことはありえます。
また、完成された一つの「作品」だけが求められるわけではありません。スペキュラティブな発想そのものが求められるので、通常の小説に比べ、かなり多くの形式が許される形になります。

一方で、通常の創作プロセスに比べ、作家と組織のコミュニケーションは密になりますので、作家側の負荷は高くなります。例えば、最終成果物が求められない代わり、通常よりも創作のプロセス自体に他者が入ってくる割合が多くなります。
少なくとも作家の生の想像力が求められるのですから、SFプロトタイピングなら安く済む、ということはまずありません。その点に留意して、契約いただいたほうが良いと思います。

・何を目指しているのか、どうなってほしいのか

私はSFが好きです。好きな理由はいろいろありますが、一つには、異なった価値観の存在する世界を垣間見せてくれるところです。特に、非常に多くの状況にがんじがらめにされている人ほど、SFに共感する人が多いのではないかと思います(マイノリティのための文学、という側面は間違いなくあると思っています)。
そして、SF的な作家の発想力は、通常の小説形態でもありえますが、もっと様々な形で発揮されて良いと思っています。
広告・PR小説としてSF作家の方が活躍の場を広げられることは、作家の方が生き延び、キャリアを積まれる上でも重要です。また、SFプロトタイピングは、そうした想像力を既存の形以外で着地させる技法の一つに位置づけられると思います。だからこそ、SFプロトタイピングに関わっていると言えます。

当たり前ですが、全ての作品が「SFプロトタイピング的」になることを求めているわけではありません。そもそも、何かの価値を否定したくて活動しているわけではないのです。
ただし、作品や作家の想像力に対する、通常の評価軸と別の評価軸が並行して存在することは、奇妙な発想、より多くのSF的な発想を救うことにはなると思っています。

私がSFを研究対象にすると決めたのは、2018年から始まったAIxSFプロジェクトの時でしたが、その時も採択面談の場で、あらかじめ「プロパガンダはやりません」という趣旨の発言をしました(これは不要な発言だとは思いましたが、言っておくべきだと思いました)。
SFは科学技術の宣伝「のみ」に価値があるわけではありませんし、ビジネスが介入することで、「SFが悪くなる」のならば、私は関わりをやめます。しかし、現実には複数の発想軸を持つことで、SFの可能性はむしろ広がる、と私は考えます。

ただし、企業の方に作家の方々が「消耗させられる」状況になるのは、全く望むことではありません。そして、懸念すべきは「ビジネスにSFが関わる」という漠然とした不安ではなく、実際に作家の方のおかれる状況だと思います。
広告・PR小説、そしてSFプロトタイピングに参加する作家の方々は、以上の点をご留意いただければ、企業や組織とのより良いコミュニケーションが取れるかもしれない、と考えています。

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