Thinking Spot

ディスプレイロボットの開発過程について述べたりするページ。

2011/08/04

クオリアに才能を投資するべきでないと考える理由

ダニエル・デネットの「Sweet Dreams」4章のクオリア議論から。
Wikipediaや邦訳の表現はわかりづらかったので、自分の中でわかるように表してみた。
まだわかりづらいかもしれない。

●クオリアの定義

クオリアに対する定義は、実は各個人で非常にバラバラである。
それでも、クオリアは下記のようなものである、という定義はおおよそ共有されているようだ。
「クオリアは一人称視点(主観)でしか観察できず、三人称視点(客観)では観察できないもの」
「内在的。人間に固有の属性であり、物理学的に同じ構成の人間を用意してもクオリアが発生するとはいえない」

●よく使われる言いまわし
・我々が赤という色を見たときの質感がクオリアである。
・生物学的に、人間の視神経や脳の基本的な構造は同じだ。
 しかし、物理学的な構造が同じでも、我々が見ている赤色は、他の人が見ている赤色と違うかもしれない。あなたの横にいる人は、あなたが青色を感じたときの印象で、赤色を感じているかもしれない。
・赤色を表す光の波長は定義できるだろう。しかし、我々が赤色を見たときの質感は
 共有できないし、従来の科学的手法では捉えられない。

・立場A:我々の意識の中で起こっているクオリアの問題は、科学の範疇では根本的に扱えない。主観的手法で扱うべきだ。
・立場B:我々が現在行っている科学的手法は、クオリアの問題を扱うのには不十分である。クオリアを理解するために、現在の科学的手法を拡張してやる必要がある。

●議論の前提となる知見
Rensinkらの研究。2つのよく似た写真をそれぞれ250msの期間、間に290msの何もない黒い画像を挟んで交互に見せると、人間は数秒後から十数秒後に初めて、その2つの映像の違いに気づく。
たとえば、棚の扉の色が片方の写真では白い。もう片方では緑。

●問い
扉の色の違いに被験者が気づくまで、被験者のクオリアは変化したと思いますか?

●選択肢
A. はい
B. いいえ
C. わからない

→A「はい」を選んだ人
自分の中で定義したクオリアは、物理学的な変化に基づいて変化し、被験者自身の一人称視点ですら観察できない場合があると認めるざるを得ない。
クオリアの定義「一人称視点でしか観察できず、三人称視点、従来の科学的手法では観察できない」が怪しくなる。
自分自身のクオリアを最もよく観察できる人物は、自分じゃなくて他人かもしれない、という事実を認めざるを得ない。

個人的結論:内観で観察できないけれど科学的観察が出来るものがあると主張するなら、素直に科学的な手法で調べればいいんじゃないか、って話。内観から調べることで省力化できる例はあるかもしれないが、他人と意思疎通のし易い科学的手法を選ぶのがベターだろう。


→B「いいえ」を選んだ人
物理学的な脳の状態観測で違いがない状況でも、クオリアは主観によって変化する、とクオリアを定義する立場を選んだことになる。
自分自身のクオリアに対して、あれこれ言う立場を保つことが出来る。
ただし、今度はクオリアの定義「内在的。人間に固有の属性であり、物理学的に同じ構成の人間を用意してもクオリアが発生するとはいえない」が怪しくなる。
この場合、クオリアとは単に”気づき”の状態を定義した別の用語に過ぎないことになる。

また、この立場を取る場合、哲学的ゾンビと人間の差はなくなり、哲学的ゾンビがクオリアを持つことを論理的に否定できない。
物理学的に同じ構造のゾンビを作成したとき、このゾンビも同じタイミングでクオリアが発生した、と述べることが可能。これは哲学的ゾンビの議論の前提を崩してるし、哲学的ゾンビが現実に存在するという、全ての妥当な理由を奪っている。

結論:物理的に同じ構成でもクオリアが存在しうる(否定できない)なら、それ作って検討して良いことになる。不確実な内観に頼るよりマシ。


→C「わからない」を選んだ人
ギブアップ宣言。この場合、発言者は自分の中でクオリアを定義できていなかったか、クオリアは主観でも観察できないし、科学的手法でも観察できないと発言したことになる。

結論:この立場の人は、クオリアという用語をファッション以上のものとして見ていない。

----

●個人的意見:
私は古典的な唯物論者に近く、デネットと同じ立場でクオリアという用語を見積もっている。
脳みそのためのチューインガムかファッションに属するもので、酒の席の話としてはいいが、真剣に議論し、思考を投資するのは時間の無駄ではないかと疑っている。

もちろん、一見無駄な言葉遊びが、重要な概念を類推させることはあると思う(そういった類推による思考法は、個人的に大好きだ)。
ただその場合、クオリアという単語は科学の棚ではなく、小説やアートと同じ位置に置くべきだろう。趣味として投資する分には問題ないけれど、重要なものであるかのように喧伝するのは、いささかの倫理的な問題があると感じる。

●個人的興味:
クオリアが存在する、クオリアという概念に思考を投資するべきだ、と考える人が、上記の問いに対しどの答えを選ぶかは気になる。また、その反論も

●感想:
時間による現象の推移を真面目に考えたのが、デネットの勝利要因ではないか。
サールの中国語の部屋にとどめを刺したIJCAIの論文(中島先生が今年の人工知能学会誌1月号で解説された論文)も、2つの一見同じような情報処理を、計算量のオーダーの違いに落としていた。
古典的な哲学は、動的な概念を扱うための道具を欠いているように見える(単に知らないだけかもしれない)

今の時代、人間の意識・思考の問題を真面目に扱いたいなら、正面から生物学に取り組むか、情報科学の手法をもって上下に押さえこむか、どっちか、あるいは両方じゃないか。
少なくとも、進路を迷っている他人に対し、私はこの立場で助言する。

ラベル: , ,

2010/01/08

Nexus One

明けましておめでとうございます。
前回の更新からずいぶん間が開きましたが、MITのAgeLabで研究を行ってます。


話題のスマートフォン、Google Nexus Oneを買ってみました。
1/6の夕方に注文して、今日届いてました。仕事が早いです。



パッケージは綺麗な白い紙箱で、四辺にGoogleカラーが入ってました。
ソフトケースもついてくるという大変嬉しい配慮。
ただ、シンプルなんですが、簡単な起動説明シートだけでマニュアルが入ってません。
たぶん、何も知らずに買うと、まずバッテリの蓋が開けられません。ググッてください。

プリペイド携帯のSIMカードを刺して動くかと思ったのですが、
どうやら、カードによっては駄目なようです(ピンポイントで駄目なものを買ってしまいました…多分

なので電話はおあずけですが、無線LANが使えるキャンパス内なら
メーラーもブラウザもマップもニュースも天気予報も、どこでも使えます。
GPSとGoogleMapの連携はとても便利。
youtubeは専門のアプリからアクセス可能です(ニコニコ動画はflashのバージョン違いで見れません)

嬉しいことに日本語UIも選べます。
fontに癖がありますが、細部まで日本語化されています。
が、ソフトキーボードで日本語入力ができません。あの素晴らしいGoogleIMEはどこに。
なぜか日本語音声認識は可能です。


こっちに来てから、cookpadのレシピを見て料理することが多いのですが、
日本語入力が出来ないので、キッチンで一生懸命「じゃがいも」とか「うどん」とか叫んで
入力してみました。

Nexus Oneに向かって音声認識させるのは、まだちょっと躊躇われます。
(良く考えたら電話に話してるだけなんですが)



iPhoneをまだ使ったことがなかったので、始めてのスマートフォンになりました。
今のところ、すっごいpalmという感じですね。

ラベル: ,

2009/09/24

Free Beer!



Bio_100%のFree Beerが当たりました!
すっごく青いよ!

自他共に認めるBio_100%世代でしたので、ものすごくうれしい。
master.libにはお世話になりました。



報告が遅くなりましたが、これから半年間、米国に出張に行ってまいります。
ではではでは。

ラベル: ,

2009/08/04

SIGGRAPH2009参加中


絶賛デモ中です。

デモ用の機器はWal-martで買いました。どれもものすごく安いです。
思ったよりブースが暗いなぁ、という印象。映像系のイベントだからでしょうか。

ラベル: , ,

2009/07/27

SIGGRAPH2009出展

SIGGRAPH2009のEmerging Technologiesに出展します。

http://www.siggraph.org/s2009/galleries_experiences/emerging_technologies/details/?type=etech&id=153

初めての参加ということで、ものすごい緊張してます。
準備はいろいろ重ねたのですが、うまく動くかな…

ラベル: , ,

2009/06/18

i-Sobotのモーターはすばらしい。

トルクの強さとクラッチとコマンドの扱いやすさはもっと評価されるべき。
スピードは多少遅いけど。



こっち?

こっちかー

ラベル: ,

2009/06/15

メアリーの部屋(マリーの部屋)

クオリアが分からない。と言い続けることに疲れたので、
デイヴィット・チャーマーズの「意識する心」を読んでみた。
こんな酷い本だと思わなかった、というのが正直な感想。
なんでこの人は、こんなに無邪気なのかが分からない。

以下、書中の「メアリーの部屋/マリーの部屋」に対する解釈を「うみねこのなく頃に」の魔女合戦に合わせた感じで書いてみた。二次創作注意。
----------------------------------------------------
●部屋のメアリー
メアリーは、生まれたときから、部屋に閉じ込められて育ちました。
メアリーの住んでいる部屋には、色が一切ありません。部屋のすべてのものは白と黒と灰色のみ。たまに、全身黒い服を着た兵士達が、食べ物を持ってくるのですが、このパンや水も灰色。色がありません。兵士達は、メアリーが知りたいと望むもの、望んだものを何でも与えてくれました。ただし、兵士達の持ってくる物は、きまって色の存在しないものでした。

外の世界を知らないメアリーは、本を読んで育ちました。メアリーはとても賢い子でしたから、本を読むだけで、外の世界に溢れる色を理解することが出来ました。
本を読むうち、メアリーは、外の世界をひとめ見たいと願いました。しかし彼女は、外の世界に出ることを許されていません。メアリーは兵士達にその願いを伝えましたが、兵士達は首を横に振るばかり。

そんなメアリーを可哀想に思ったのでしょうか。
ある日、ベッドに横になったメアリーの下に、金髪の魔女が現れました。
魔女は言いました。一度だけならば、その扉を開け、外の世界を見せてやろう、と。
ただし、魔女の魔法は一度だけ。一度外に出たのなら、その後一生、お前はこの部屋に閉じ込められたままであると。

メアリーは魔女の提案を承諾し、魔女と共に外に出ました。

そこにあったのは、色とりどりの世界。美しい草原の緑、木々の肌の色、空や湖の青。
メアリーは本を読んで、外の光景を知っていたつもりでした。でも、まさかこんなすばらしい世界が広がっているなんて!
メアリーは夢中で草原を駆け抜け、森の木々を抜け、動物達と遊びました。そして、丘に登り、日が暮れる間、これ以上ないほどの美しい夕日を見たのです。

そして、魔女の魔法が切れるころ、メアリーは再び部屋に戻ってきました。
すばらしい体験をしたメアリー。しかし、そこにはもう魔女はおらず、白黒の壁しかありません。そして、もう魔女は二度と来ないでしょう。
メアリーは、自分が知らなかったことを知ってしまったことを深く悔やみ、泣きました。
翌日、兵士達が部屋を開けると、そこには食事のナイフで首を突き、冷たくなったメアリーが倒れていました。
----

ベアトリーチェ「……くっくっく。どうだ戦人?この女を可哀想だと思わぬか?
もしお主が妾の魔法を認めるなら、この女を一日と言わず、一生の間、外に出してやっても構わんぞ?」

戦人「……こんな下らない幻想で、俺が屈服すると思ったのか?

まずは事実の確認だ。復唱要求!兵士達はメアリーが知りたいと望むものをすべて与えた!」

ベアトリーチェ「ふむ……復唱に応じよう。
兵士達はメアリーが望むものを全て与えた。ただし色のついた物を与えることは無い】」

戦人「ああ、これは当然認めてくるよな。じゃあ、これも赤で復唱してもらうぜ。
メアリーは色に関する全ての知識を得ることが可能だった!
色に関する全ての知識ってのはええっと……目の仕組みとか、色の周波数とか、そういうのだ」

ベアトリーチェ「【メアリーは色に関する全ての知識を得ることが可能だった
女が色に関する”知識”を得ることは、特に制限されておらぬ。…無論、実際に見ることを除いてだが」

戦人「……認めたな?じゃあこれはどうだ?復唱できるか?
メアリーは色を体験するための、”実験用の設備一式”をそろえることが出来た」

ベアトリーチェ「…………………………くっくっく。そういうことか。
……復唱は拒否する。理由は特に無い」

戦人「あぁ、駄目だぜ。全然駄目だ、ベアトリーチェ。その復唱拒否じゃあ、答えを言ったも同然だ。

メアリーは部屋の中で、実験によって色を体験することが出来た!だから、色の無い部屋に閉じ込められたからといって、そのことに絶望する必要なんかまったく無かった!
魔女がメアリーに絶望を与えることなんか、できっこない!」

ベアトリーチェ「……ぐ、ぐぐ……まさか、自殺の動機を否定するとは……
だが、【メアリーは色の着いた物を手に入れることは出来ない!
…であれば、どうやって色を発生させることが出来るというのか!?」

戦人「いっひっひ……色を作り出すものに、色が着いているとは限らないぜ。
無色透明のプリズムだって、虹を作り出すことが出来る。こいつは俺達の祖先が残した武器の一つだ。

……いや、そういうことだけじゃない。
もしお前がプリズムを否定するなら、俺は人間の持つあらゆる手段を使って、メアリーに色を体験させてやる。そのことに全力を尽くす。
…魔女が何を企もうと関係ない。お前がメアリーから目を奪うなら、俺が目の代わりを考える!お前が腕を奪うなら、俺が腕になるものを探してやる!こっちには無限の青があるからな。
そもそも、メアリーは色に関する全ての知識を得ることが可能だったんだろ?だったら、その知識を全て使えば、色を再現して、自分で体験することだっていくらでも可能だったはずだ。

…お前が俺の弾幕を避ける手段は一つ。俺がメアリーを手助けする手段Xに対し、俺が納得できる範囲で線を引くことだ。
メアリーが接触可能な知識について、定義を要求する。
ひるむことはないぜ。魔女の赤字はお前の特権だ。ヘンペルのカラスでもなんでもいい。お前の赤字を使って、人間が知ることの出来る範囲を限定してみればいいじゃねえか。
……………出来るもんなら、だけどな!」
----------------------------------------------------

思考実験としての「メアリーの部屋」の良くないところは、
あらかじめ、特定方向に思考を縛るような誘導がされることだと思う。
哲学的”ゾンビ”についても同じ。「あなたはゾンビですか?」という問いかけに
簡単に「はい」と答えられる人がいるはずはない。

ラベル: ,